3月11日(金)の東日本震災によせて

日本歴史上、未曾有の大災害が日本列島を襲った。
それも3/11オープンクラスの日で、その影響なのか、当初5グループを予定していたが急きょ 4グループに縮小し、皆が東北地方を気にしながらの中、無事終了した。
リーダー及び関係者の方々お疲れ様でした。

思い起こせば16年前、阪神淡路大震災で、当時から某ボランティア団体に所属してお手伝いとして、その週末に神戸市を皮切りに毎週末兵庫県内 (芦屋市を中心)を活動したことが昨日のように思い出される。 
各地から援助物資を80~100人ぐらいで列を作り地下駐車場に運び、一息つくと 避難所人数を貼った自衛隊の装甲トラックに、おにぎり・飲み物・タオル等積込作業を、排気ガスが充満する悪環境のなか、笛を吹きながら仕切ったこ とがあった。
今回の新聞報道で、2つのことが気になっている。 1つ目は阪神の時もそうだったが、行政・マスコミも外国人への関心・把握がまったくなされて いないのが気になっている(日本人優先も分かるが) 避難場所、炊き出し場所など、どこに掲示されているのか、どこにいったらサービスが受けられ るのかなど、数ヶ国語で書き出しを貼るなど被災していないだれかが気にとめてもいいのではないかと思う。
2つ目が、3/26付の朝日新聞のこんな記事があった「死と直面、仕事に戸惑い―ひつぎ運び募集禁止」。津波の被害を受けた釜石市では一時ボランティアに「物資運び」「交通誘導」のほか「ひつぎ運び」「お骨入れの裁縫」などを募っていた。 しかし現場には戸惑いがあり、市は「ひつぎ運 び」の募集を数日後取りやめた。
裁縫のボランティアを募っていたのは市内の葬儀店。
火葬したお骨を白い布で作った袋に入れて、それを木箱に納めて 埋葬する仕事だった。
―原文のまま―

少し考えさせられた記事であった。
「災害は忘れたころにやってくる」と諺にある通り、太平洋側の市町村・県・国は過去のチリ津波 や阪神淡路大震災・スマトラ沖大地震の教訓を生かし切れなかった。
原発(東京電力)は大地震が来たら危険と知りながら(多くの学識者が警告していた)「想定外」3文字で済まそうとしているのが許されるのか?
世論の動向を注視していきたい。 

(1班クレーマー親父より)

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