私は、中国に来て中国の学生に日本語を教えることになった。
戦争中のことを考えれば抵抗がなかったわけではない。戦時、日本はアジアを侵略し、朝鮮、台湾、そして大陸でも、同化を迫った。何もアジア・太平洋戦争ばかりのことではない。アイヌ民族や沖縄琉球民族についても、和民族?大和民族?つまり本土の多数派民族は少数民族から言葉を奪った。
そのことを考えると、戦時ではないにせよ、日本人である私が中国人に日本語を教えることの意味を考えざるを得ない。
中国に来て、色々な話を聞いていると、確かに経済的優劣関係から日本語を中国人に「教える」傾向は極めて強い。「ビジネス日本語」という範疇があること自体、そのことを雄弁に物語っている。このことについては、いずれ腰を据えて考えてみようと思うが、やはり、今も、日本は徹底的な同化をビジネス社会においても求めるようである。
さて、前置きがすっかり長くなってしまったが、そういうわけで、一方的に日本語を教えることに抵抗のある私は、授業は日本語サロンの外に、「大連どこでも学校」という相互学習の場を設け、学生たちと学びを共有している。
今日は、久しぶりの「どこでも学校」開講日であった。昨年から年越しで取り組んでいる『西遊記』の日本語訳に16人の学生が取り組んだ。ここから見えてくるものは多い。
みんなとても真剣!