明日、营口へ。父が生まれた所

明日、营口へ行く。大連から列車で2時間ほど、北へ行ったところにある遼東湾に面した街だ。ガイドブックにはまるで載っていない。

もともとは昨年教えていた学生からの誘いによるものだが、その誘いにのったのは、そこが父が生まれた場所だと知ったからだ。

私の父は大正11年生まれ。西暦でいうと、何年になるだろうか?私自身の生年については、西暦を使い慣れているが、父に生年については、元号を使い続けている。なんだかそんなもんのような気がしてくる。私が天皇制の一つである元号表記にいささかなりともこだわったにしても、張り巡らされた天皇制にどこかで絡め取られてしまう。しかし、それを意識することだけでも、まぁよしとしよう。
で、私の父の生年だが、1922年だ。満州で生まれたとは聞いていたが、それが营口であると知ったのはごくごく最近のことだ。およそ、父は何も語らなかった。亡くなったのは今から26年前になるだろうか?それ以前も認知症のため、話ができない状態が随分とあったが、しかし、その前いたって健康であったときも、父は昔の話を一切しなかった。父自身から父の若かったときのこと、子ども時代のことも何ひとつ聞いた記憶はない。私が私の生まれる前の父について知っていることは、全部母を通してだった。そして母と出会う前のことは、母は父の両親や祖父母から聞いた話として私に聞かせてくれた。戦後引き揚げて来るまでは生まれてからずっと偽国満州にいたわけだ。

生まれた場所は何となく大連だと思っていたのだが、たまたま、营口の話をした時、母から「おじいちゃんの生まれたところよ」と聞いて、私は初めて知ったわけだ。93年前のことだ。その地に行ったとて何の感慨もないだろう。しかし、私もそれなりに年を取って、人が生きて来たまるまるを飲み込んだ何と言えばいいのだろうか、得体のしれない大きなものに何だか触れてみたくなったのかもしれない。

案内してくれる学生には、そこが私の父が生まれた場所だとは言いそびれたまま、まだ言えていない。聞けばどう思うだろうか。それが少し怖い気もする。でも言わないわけにはいかないとも思っている。

明日、营口へ行く。93年前、私の父が生まれた場所へ。

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