読書指導や音読指導が有効

 今日も大勢の学習者が集まりました。
このところずっと、毎週学習者の方が多くて、ボランティアが足りません。
手持ちぶさたの学習者の姿をよく見かけます。
私は、今は特定の学習者を担当していないので、相手のいない学習者を見つけては話しかけるようにしています。
なかなかどんな学習をしたらいいのか、さぐっていくうちに時間になってしまって、実質的な学習までいきません。
この人にはこういう教材がいいなと思うのですが、それも準備できませんし、歯がゆい思いです。
各班長さんには、苦労してコーディネイトしていただいているので、感謝していますが、どうしてもあぶれてしまう学習者が出てしまうようです。
ボランティアのみなさんも、暇そうな学習者を見たら、声をかけて、1度に2人でも3人でも相手して欲しいと思います。
つくづくうまくコーディネイトするのは難しいなと感じます。
ボランティアが余る日があったり、学習者が余る日があったり、なかなかうまくいきません。

話は変わりますが、日本在住期間が長くて、日常会話には差し支えがないけれども、難しい話はよく分からないとおっしゃる学習者さんを時折見かけます。
子どもの場合は、「生活言語」は身についているが「学習言語」は備わっていない、というようなくくり方をしているケースです。
そういう方は、日常生活に必要な日本語にはまったく不自由しないのだけれども、社会科や理科など深く考えながら学習する論理的思考につながるような日本語力は身についていません。
大人の場合は母語が「学習言語」の働きをするので、自分の思考能力には差し支えないのですが、日本語話者と深い話をすることができません。
こういう方には、読書指導や、音読指導が有効ではないかと私は思っているのですが、もし、そういう学習者を担当されている方がいましたら、読書指導を試してみてください。
新聞記事とか、社説とか、論説文を読む練習をしてみてはどうでしょう。
そういう方と、世間話だけの学習をしていたのでは、その人の日本語力は向上しません。
「交流」だけではなく、「学習」にまで発展できたらいいなと思います。
もちろん、まずは「交流」を大切にして、毎週来ていただけるようになってからの話です。
いきなりあせって自分流の「学習」をおしつけるのは考え物です。
この、「交流」と「学習」のバランスも難しいな。
自分で書いておきながらなんですが、難しい問題ばかりです。
試行錯誤、軌道修正、柔軟性、大切なことだと思います。

(広報担当)

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