正しい日本語って何だろう?!

そもそも私は「正しい」という言葉が嫌いだ。「正しさ」「正しい」「正義」この類の言葉の傲慢さ、そしてなにより、それらが、「正しさ」以外のものをどれだけ排除してきたか、60余年生きるなかでイヤというほど見て来た。正義とは排他的なりと言ってもいいぐらいだ。

しかし、百歩譲って、信条だとか、イデオロギーだとか、個々人の思想は、「正しさ」を拠り所としているだろうし、それはそれで、それぞれに認めてもよい。絶対的な正義を主張するものでないことを条件としてだが。

しかし、言葉はどうだろうか?いま、中国で日本語を教えるという仕事のなかで、いやでも言葉について考えざるを得ない環境にある。

この間、参加した日本語教師会にテーマは「中級から上級へどう指導していくか」というものであったが、少し違和感があった。中級まで来たなら、もう「教える」ことは必要ないのではないかと。しかし、そこで出た話は、ネイティブ日本語にまでどう指導していくか、という私の疑問とはまったく真逆のものまであった。つまり、日本人が中国人を雇用することを前提としているのだ。

そんなとき、1年生の学生が、微信に面白いものを投稿していた。中国語と日本語の併記であったが、日本語訳のみ掲載する。結局、言葉もまた多数派主義ってことだろうか?

正しい日本語とは?

一)私は正しい日本語なんてないような気がします。もし、あるとすれば日本語検定試験で正解になるものが、正しい日本語に一番近いような気がします。学校文法は、小中学校の授業で○×をつける基準になるものであって、私たちが日常使っている日本語とは別物のように思います。

二)大学で国語学を専攻していて、形容詞の語史を卒論のテーマにしました。久しく国語学とは無縁の生活をしていましたが、 先日、樹さんのHPをみつけて「正しい日本語」ってなんだろうと考えたのですが、みんなが真似する日本語ではないかと思いました。

昔は有名な歌人や作品の言葉遣いが模範となっていて、歌や文章を作る人はその言葉遣いを真似て創作をしていたんですよね。自分の仕事の場面で考えても(私は通販会社で電話のオペレータなどをしているのですが)分かりやすくていい印象の言い回しが耳にはいれば、次からは同じ場面ではその言葉を使うようにします。

逆に尊敬語や謙譲語でいうと間違ってない言い方でも 「私正しい言葉遣いしてるのよ。文句ある!?」って感じの印象を受ける言い方はしないようにします。「ら抜き言葉」や「させていただきます」にしても、人が言っているのを聞くとおかしいと思っていてもいざその状況になると自分も言ってしまいます。理由はなにせよ、みんなが真似して言ってしまう言葉がコミュニケーションの中で理にかなっている言葉なのではないかと思います。

私も学生の時は「正しい日本語=今時の言葉でない日本語」などと漠然と思っていました。でも大学で国語学を勉強して、そんなことを言ってたら古代中国語が正しい日本語になってしまうと思いました。結局、樹さんがいつもHPにかいてらっしゃるように、「多くの人と共通理解が得られること」「多くの人に不愉快な感情を与えないこと」 だと私も思います。

三)日本語の問題集のかっこのなかに適当な単語や助詞を入れる問題がありますが、初級の場合文法で説明できる問題ばかりだと思います。だから、その答えが正しい日本語だと言えます。でも、「に住む」が正解でも実際は「で住む」も使いますから、答えは一つではないときもあります。便宜上、文法で正しい日本語を定義している感じがします。

突き詰めて行くと、文法よりも感覚のほうが重要な気がします。正しいかどうかわからないけど、皆使ってるという感じです。文法上、正しくてもそれがあまり使われない表現なら、正しいとは言いきれないと思います。

何が正しいか?と定義するよりも、どんな表現をよく使うかということの方が大事かなと思います。

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