3月18日(金)
「お前、人間力足りてないぞ」と誰かに言われたことある方、おめでとうございます。
まずこんな駄文を読まなくて済むので…もっと一般の学習者の文章を読んでいっぱい褒めてあげてください。
と一文で終わるのがあまりにも適当なので、一応ちゃんとした根拠を述べさせていただくと、
そう、実はその瞬間、あなたはしっかり人間として認められたじゃないかと、未だに気付いてない人々に伝えたい。
どうしてそんなふうに解釈できるかと答えたら、「自分は人間以下だと思っている」みたいな陰キャ臭さが出てしまうので、ここは正々堂々に「人間力≒世間の一般的な期待値」と教科書じみた定義で質問を完結させる。
半分妄想で実例をあげようか。
ある人の仕事は工場での流れ作業。コンベアから運ばれてきた金具をねじで留めてまたコンベアに戻す、ごく普通でいずれ機械に取られる仕事。
工場の休憩室は狭く、入ってくる誰かがいつも糸の切れたあやつり人形のようにパターンと倒れて爆睡しているので、仕事→黙食→淀んだ空気に誘われ仮眠→仕事の繰り返しで一日が終わる。
休日は元々フットサルを楽しんでいたが、コロナの関係で施設が閉鎖され、他に趣味と言えるものもことごとく自然消滅。
幸い自分一人でも、こんなふうに文字を綴ることがまだできる。
けれど、情報過多のインターネットでは、拙いものは当然のように埋もれてしまい、誰の目にも留まらない。
それでも彼は書き続ける。それ以外の考えは単純な脳回路にないみたい。
さて、ろくに税金を納めず、社会奉仕もせず、友達を作らず、恋愛もせず少子化を推し進める彼は、人間力のある存在だと言えるだろうか。
もっと根本的に言うと、彼という人間の存在は誰かに認識されるまで、人間力という他者評価の数値はゼロではないか。
けれどある日、「日本語教室に来ないか」と誘ってくる人が現れた。
その後書いたものが発見され、「記事を書いてください」「発表してください」「司会してください」との依頼が続々と押し寄せてきた。何か分からないけどその場にいることは誰かに期待された。
すると、人間力において小数点以下の数値の上昇があったのを本人もうまく認識できた。
さらに、かつて人間力あった事実も思い出した。
まさにその一言、「お前、人間力足りてないぞ」と言われたことがあるから。
ただ、「人生を改め、いっそ生まれ変わったほうがいいわ」、後からくる言葉の辛さに耐えきれなくて、記憶全体を抹消した。
結局解答のないまま文脈も途切れてしまったが、
その人は世間の一般的な期待値に満たし、
人間力を取り戻せた誰かに「お前、実は人間力足りてるぞ」と言われたいだけなのかも。
(3班 Fさん)