5月10日、4人の学生とともに、大連現代博物館を訪れる。
これまでに、旅順日露刑務所旧址、旅順博物館(パスポート不携帯のため入館できなかったが)、9.18歴史博物館等、日本と中国にまるわる歴史を展示してい場所をいくつか訪れたが、どこも多くの人がいた。もちろん、中国人だ。老若男女と言ってよい。家族連れ、恋人、年齢的にも実に幅広い層が歴史に関心を寄せているのがわかる。
大連現代博物館は、そういった日中に歴史を展示する博物館としては、稀有な博物館だという。『地球の歩き方』にそう書いてあった。
~大连现代博物馆:大連の歴史をわかりやすく紹介~『地球の歩き方』より
一般に大連の都市は19世紀後半にロシア帝国がこの地に進出し、港湾施設を建設したことに始まるとされるが、この博物館のメイン展示である「近代大連」では、アヘン戦争の1840年から1949年の中華人民共和国建国にいたる歴史を扱っている。
興味深いのは、ほかの中国の歴史博物館とは異なり、1904年~45年の日本統治時代を含めたその期間を「多元文化的交流与融合」の時代と位置づけ、当時の街の様子や人々の様子や人々の暮らしを紹介していることだ。日本の関わる歴史を公平に扱おうとする姿勢が見られることは中国でも希有といえる。ぜひ訪ねてほしい。
文中の「日本の関わる歴史を公平に扱おうとする姿勢」にはひっかかる。これでは、他の姿勢は不公平であるといわんばかりである。むろん、中国の博物館等が中国政府の肝煎りであることは否定しない。政府の意図(つまり政治的意図)が反映しているのは確かである。しかし、日本人がそれを言うわけにはいかないと思っている。日本がどれだけ「公平」に歴史を自国において取り扱っているかそれを考えれば当然である。
しかし、博物館を実際に見学すると、いやいややはり、遼東半島において日本人がしたことはきちんと展示してあった。旅順大虐殺など日清戦争時からの展示には明らかに、日本の加害性が、アジア・太平洋戦争に始まったものではないことを示していた。
さて、件の表記についてだが、確かに、1940年から1945年「多元文化的交流と融合」と銘打った展示があった。建物、生活、食べ物…確かに戦争における侵略の加害・被害を問わず、文化は交流し融合するのだと思う。
日本では、当時、言語や文化も含めた同化政策が取られていたため、歴史を振り返ったとき、それを「融合」と呼ぶには、私自身抵抗がないわけではない。
ただ、誤解を恐れずにいえば、文化とはそんなヤワなものではないのではないか?つまり、国家による文化支配があってもそれを超えて、民衆は交流し融合していく、それが文化ではないかとも思えてくる。
大連と言う場所は、いくたびか、その主人は変わってきた。ロシア、日本、中国、しかし、この地には、紛れもなく文化に融合があり、それがますます大連という街を魅力的なものにして来たような気がしている。