Category Archives: 学級日誌

新年度の始まり

先週で新規ボランティアの方々の登録や、役割分担のメンバーも決まり、いよいよ新年度の始まりです。それに私のパートナーのOさんが4月から新しい職場に正職員として採用され、嬉しい限りです。
木曜日の「中国語の教室」と、自身の「日本語」の勉強のための「市岡」は多少の無理は承知で続 けたいとの気持ちを聞いて尚、嬉しいことです。
「滑らかに日本語を話せるようになりたい!」との彼女の切なる願いに応えるべく、これからも一緒に 頑張りたいと思います。

そして今日は今春大学に進学した、彼女の子息Sくんのことを少し書いてみます。
入学式も終わったころ「お祝いのメッセージ」を託しましたところ こんなメールをいただきました。

初めてのメールであることの丁重な挨拶の後、選んだ大学、所属学部の報告に続けて、
「今では、こちらで素敵な友達ができたり、自分よりも英語が ずっと出来る人たちから刺激を受けています。
今、私には大きな夢があります。世界から戦争と貧困をなくすことです。
非常に難しいことだとわかって います。しかし毎日のニュースで罪のない人たちが大勢亡くなったり、幸せになるために生まれてきたはずの子どもたちが大人になる前に亡くなったこ とを知るたびに一層強く何かしたいと思うのです。
(中略)
国連やNGOは素晴らしい仕事だと思いますが誰でもできることではありません。だから今 から大学で友達と遊んだり勉強したりボランティアに励んだりしながら、そんな仕事に相応しい素敵な人間になれるように頑張ります。長いメールを最 後まで読んでくださってありがとうございました」

読み終わって感動の涙があふれ止まりませんでした。
この母にして、この子息!
大きな夢と熱い思いを持ち続けて、ぜひとも全人類の幸せのために尽くしてほしいものです。
(Sくん!無断で掲載させていただきました、ごめんなさいね。)

(4班  皇 暢子さん)

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恒例の花見

4月9日(土) 2011/04/17(日曜)

 恒例の花見が行われました。午前中、雨が降ってどうなることかと心配しましたが、開始時刻の3時には、雨も上がり、太陽が顔を見せてくれて、と てもいいお天気になりました。午前中の雨のおかげで、一般の花見客も少なく、静かに花見ができました。(テントの中はうるさかったですが。)
桜は今日にあわせてくれたかのように満開で最高の花見でした。参加者は例年より少し少なかったようですが、みなさん、持ち寄った手料理(コンビ ニ料理の方が多かったですが)をつつきながら、大いに飲んで楽しみました。ふだん、夜の教室にはなかなか来ることのできないメンバーや学習者も顔 を見せてくれました。久しぶりの再会に大いに盛り上がりました。
来月帰国予定のベトナムのミンさんも、尼崎からかけつけてくれました。この季節にあわせて、「さくら」(森山版)を熱唱してくれました。お世辞 抜きに上手な歌声にみんなから盛大な拍手が起こりました。

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(2班 Fさん)

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3月11日(金)の東日本震災によせて

日本歴史上、未曾有の大災害が日本列島を襲った。
それも3/11オープンクラスの日で、その影響なのか、当初5グループを予定していたが急きょ 4グループに縮小し、皆が東北地方を気にしながらの中、無事終了した。
リーダー及び関係者の方々お疲れ様でした。

思い起こせば16年前、阪神淡路大震災で、当時から某ボランティア団体に所属してお手伝いとして、その週末に神戸市を皮切りに毎週末兵庫県内 (芦屋市を中心)を活動したことが昨日のように思い出される。 
各地から援助物資を80~100人ぐらいで列を作り地下駐車場に運び、一息つくと 避難所人数を貼った自衛隊の装甲トラックに、おにぎり・飲み物・タオル等積込作業を、排気ガスが充満する悪環境のなか、笛を吹きながら仕切ったこ とがあった。
今回の新聞報道で、2つのことが気になっている。 1つ目は阪神の時もそうだったが、行政・マスコミも外国人への関心・把握がまったくなされて いないのが気になっている(日本人優先も分かるが) 避難場所、炊き出し場所など、どこに掲示されているのか、どこにいったらサービスが受けられ るのかなど、数ヶ国語で書き出しを貼るなど被災していないだれかが気にとめてもいいのではないかと思う。
2つ目が、3/26付の朝日新聞のこんな記事があった「死と直面、仕事に戸惑い―ひつぎ運び募集禁止」。津波の被害を受けた釜石市では一時ボランティアに「物資運び」「交通誘導」のほか「ひつぎ運び」「お骨入れの裁縫」などを募っていた。 しかし現場には戸惑いがあり、市は「ひつぎ運 び」の募集を数日後取りやめた。
裁縫のボランティアを募っていたのは市内の葬儀店。
火葬したお骨を白い布で作った袋に入れて、それを木箱に納めて 埋葬する仕事だった。
―原文のまま―

少し考えさせられた記事であった。
「災害は忘れたころにやってくる」と諺にある通り、太平洋側の市町村・県・国は過去のチリ津波 や阪神淡路大震災・スマトラ沖大地震の教訓を生かし切れなかった。
原発(東京電力)は大地震が来たら危険と知りながら(多くの学識者が警告していた)「想定外」3文字で済まそうとしているのが許されるのか?
世論の動向を注視していきたい。 

(1班クレーマー親父より)

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年に一度のボランティアミーティング

4月1日(金) 2011/04/17(日曜)

 年に一度のボランティアミーティングが行われました。新しい人たちも迎えて、班編成、係決めなども行われました。いよいよ来週から新しい年度の スタートです。
(広報担当)

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小泉啓子先生研修

前回に引き続き、小泉啓子先生を迎え、研修していただきました。
今回の研修は、実際に学習者を相手に、どの様に教えるかがテーマでした。
しかし、当日は予定していた学習者2~3人が来なかったりで、どうしたものか?と思っている中、通常の学習があると思って来た学習者によって、何とか できたというハプニングがありました。
また、予定では丁寧語の教え方でしたが、その学習者達のレベルによって急遽 先生には内容を変更してもらいました。
よって今回は特に間違えやすい 「この・その・あの」、「います・あります」、「助詞 は・が」の教え方などを学びました。

① 「この・その・あの」は距離の差ではなく、自分の領域は「この」、相手の領域は「その」、そして自分と相手以外の領域は「あの」を使う。距離論ではなく、領域論であるということ。

② 「います・あります」の違いは、「います」・・・人など(有情)、「あります」・・・物(無情・非情)
例 : ここに○○さんがいます。 机の上に本があります。助詞の説明は単文で文字で書くと分かりやすい。

③ 助詞「は」・・・取り立て、主語、主題を表す。
例 : これはペンです。 私 は きのう買いました。 → これは私 が きのう買ったペンです。
「は」と「が」の違いを教える場合、この例文を出すと分かりやすい。

④ その他
1) 視覚で教える 
2) 発音・書き順の修正はうるさく言わない 
3) 知っている言葉を使う
4) OKなどのジェスチャーも日本で覚える必要があれば教える 
5) 学習者の学習経験やレベルによって、どの様な内容を教えるのか、見極めが大切

また、今回はボランティアの質問に答える時間もあり、有意義な研修になったかと思います。

(5班 Nさん)

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今年度最後の日本語教室

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今年度最後の日本語教室がありました。

例年は最後にオープンクラスをして終るのですが、今年は会場の都合で1週ずれて、最後はふつうの学習にな りました。
地震の影響でいろいろなイベント等が中止になったり、なかなかふだんどおりの生活が送りにくい状況ですが、それでも大勢の学習者が出席 してくれました。
年度末は別れの季節でもあります。
今日を最後に市岡日本語教室を離れる人、母国に帰る人、さまざまな別れがありました。
毎年のことではあります が、少し寂しい季節です。しかし、市岡日本語教室を離れる人にとっては、同時に新しい人生の旅立ちの日でもあります。
彼ら彼女たちの前途を大いに 祝したいと思います。

教室の最後に、その中から4人の学習者たちが挨拶をしてくれました。これからの活躍を祈ります。

(広報担当)

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オープンクラス

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今回はオープンクラスでした。地震の関係で、いつもよりはメンバーが少なかったようにも思いますが、それでも本当にたくさんの人が集まってすごくいい会になりました。
私は6班からイベント係ということで前から準備にもかかわりましたが、いつもより中に入ったことで楽しむことが出来ました。
ただ教室においてもイベントにおいても日本語がほとんどできない人のことを中心にもっと考えていく必要があるのではと改めて思いました。
ゲームの進行などは日本人でもわかりにくいこともあるのでもっとそういった人に対して配慮していくべきだと思いました。

今回は先週がボランティア説明会ということもあり、初めて見学に来られている日本人の方も多かったように思いますが、そういった人のフォローも もっとすべきだったとおもいます。
結果、いつも以上に多国籍な雰囲気でしたし本当によかったと思いますが、市岡日本語教室はすごく大きな団体なだけにもっと色んな事ができるよう に思うので、人数や個性、年代、国籍を活かしてこれからもっと活動できればなと思いました。
来週から新たなメンバーを迎えて頑張っていきたいです!

(6班 中澤さん)

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弁天町市民学習センターでの日本語教室

今日は弁天町市民学習センターでの日本語教室でした。
暖かく春のような陽気でした。

私は、仕事に行くときはコートを着ていったのですが、いったん荷物を置きに帰って、すぐに日本語教室に向かったのですが、そのときにコートを着ていくのを忘れてしまうほどの暖かさでした。
(でも、着ていったと思い込んでいて、最後に教室の中に忘れていないか調べに戻りました。結局は家にあったのですが。得意の物忘れです。) 

先週は北京に行ったのですが、そちらは氷点下で、温度差にとまどっています。
今日は久し振りに担当の中国人の学習者と話をしたり、別の中国人の方の相談にのったり、理事会があったりと、ばたばたしました。
来年度の会場問題も気になるし、なかなか落ち着かない毎日です。
日本語教室もあと1週。
年度末で、学習者が減ってきていますが、最後まで頑張りましょう。

(広報担当・札葉)

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恒例のワンワールドフェスティバル

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2月5日(土)6日(日)恒例のワンワールドフェスティバルが上六の国際交流センターで開催されました。
関西では最大の国際交流のイベントです。市岡日本語教室も例年通り民族料理の屋台に出店しました。
今年もメニューはチヂミとトッポギと柚子茶です。

今年はお天気にも恵まれ、寒さもたいしたことはなく、2日間とも大勢の人出がありました。
参加した人たちは、いろんな団体のブースを見て回ったり、おいしい民族料理を食べたり、おおいに楽しみました。
いろいろな団体の人たちと出会えるのが、この催しのいい点ですが、私も旧知の人たちのブースを訪ねたり、意外なところで意外な人物に会ったりし て、旧交を温めました。
おかげさまで、屋台の方もそこそこの売り上げがありました。手伝ってくださったみなさん、本当にありがとうございました。

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おお、異文化

先週までの6班は、インドネシアから来られた学生が帰国してしまったのと、日本語能力検定試験が終わり落ち着いたのと、寒いのとで、学生よりもボランティアが多く落ち着いた雰囲気でしたが、今週は、新規の学生が3名も来られており、あわただしい印象を受けました。

6班は、試験対策の班ということもあって、他の班ほどわんさかした感じがない。
が、たまにこうして学生が来て下さるので嬉しい。

先週まで、学生もボランティアもアジア、って感じだったのが、新規の学生は欧米系の方だったので、
雰囲気的に、「おお、異文化」という印象を受け、6班の班員はいつもと違う授業となりました。

(6班 Fさん)

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